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経営随想

運送業60年の歩み

近藤 道哲
(六郷小型貨物自動車運送株式会社 代表取締役会長)

§ 創業期

 私は昭和11年、旧六郷町、現在の美郷町に農家の次男として生まれました。実家では農業の傍ら、近隣の農家から籾摺り、精米を請負って生業としていました。中学を卒業すると進学せずに、すぐに家業を手伝い、17歳の時には運転免許を取得し、昭和30年春から「オオタ」という1t積みトラックを実家で購入し、私が運転をして籾や米を運んでいました。トラックはもとより車を所有することがまだ珍しい時代でした。当時の旧六郷町は商業の街と云われ、呉服店や各食品店、酒店などが軒を並べ、近郷近在から訪れた方で賑わっておりました。そういった中で次第に商店主から商品の配達を頼まれるようになり、自然と運送業を個人創業したような形になりました。

§ 事業免許の取得

 お客様の荷物を運んで運賃を頂くには、陸運局(現在の運輸局)から免許を取得しなくてはなりません。そういったこともよく知らずに個人で仕事をしていたところ、違法行為だとの指摘を受けました。いまさら止めるわけにはいかないと考え、免許を取得し、会社を設立しようと決心しました。しかし、当時23歳の私にとって、会社を設立し、運送の事業免許を取得することは簡単ではありませんでした。  
 仕事の傍ら、会社設立、事業免許の取得について勉強しながら準備をしていきました。免許を取得するためには最低でも3台のトラックを保有しなくてはなりません。資本金として230万円を様々な方からお借りし、それを元手に2tトラックを3台購入しました。事業免許は一般貨物と小型貨物の2種類ありましたので、取得しやすい小型貨物を選びました。そのため会社名にも「小型貨物」と入れ、現在もそのままにしています。申請準備から1年掛かって、昭和35年10月に念願の事業免許を取得することができました。秋田県内の運送会社は60社に満たない、そんな中での船出でした(現在の県内事業者数は400社余り)。

§ 営業開始

 昭和35年秋に漸く会社として事業を開始することができました。24歳で社長となった私は「さあ、これから」という気持ちでしたが、現実はそう甘くはありません。トラックの購入と車庫の建築への設備投資で、集めた資本金はすぐになくなりました。何とか人の紹介で社員は採用できたものの、それまで自分のトラックの分だけ仕事の依頼を受けてきたのが、今度は3台分の仕事を取ってこなくてはなりません。仕事がなくても給料は払わなくてはなりません。特に冬期間は仕事の依頼が非常に少なく開店休業状態でした。
 また現在とは道路の状態、車両の性能も大きく違い、悪路または性能の低さから運転中の路上故障やパンクなどはしょっちゅうでした。路上故障をしても、信用のない弊社の車両を修理してくれるのは旧六郷町にある知り合いの整備工場しかありません。路上故障が起きるたびに、どんなに遠くても別のトラックで現場に駆け付け、ロープで牽引をしながら会社まで帰ってくるのが当り前でした。開業からしばらくの間は苦しい経営が続き、恥ずかしながら社員の給料の支払いが遅れることもたびたびありました。ある程度予測はしていたものの、会社経営とはこんなにも苦しいものかと思い知らされました。昭和40年代に入り、少しずつ「運ぶ」という仕事が認知され、次第に仕事の依頼も増えていきました。小型貨物免許から法改正に伴い一般貨物免許に格上げされ、弊社もいよいよ大型車両を導入し事業の拡大を図ろうとした矢先に48豪雪、そして2度のオイルショックに見舞われ、自社だけではどうにもならないことへの舵取りの難しさ、備えることの大切さを学びました。

§ 事業の拡大期と労働組合の結成

 昭和50年代に入ってからは知人の紹介から大手家電卸の配送、公共工事の拡大に伴いコンクリート2次製品の配送など、それまでの農業関連、あるいは旧六郷町を中心とした営業展開から県内全域への配送と、品目と領域を広げることが出来ました。また大手運送会社からの仕事の依頼も急激に増え、いつの間にか車両数は40台を超え、社員も50名近くまでなっておりました。そんな中で労働組合が結成されました。運送業界では労働組合がある会社は珍しくなかったので「とうとうウチにも出来たか」という気持ちもありましたが、自分なりに社員のことを考えてきたつもりだったのでやはりショックでした。待遇の改善や労働条件の見直しなど様々な要求を受けました。折も折、平成2年には法改正に伴い、運送事業は免許制から認可制に変わり、免許取得にあれほど苦労したのが、規制緩和のもとで誰でも簡単に認可を受け事業を始められるようになりました。全国で運送事業者が急増し、価格競争と社員の確保・定着に悩みました。そんな中で、運送料金の下落、人件費の上昇等々で経営は急速に悪化していきました。平成2年に赤字に転落し、それでも社員からは大幅な賃上げを要求されました。「要求を呑めなければストライキ」という組合側に対し、最終的には「私と一緒にやる気のある社員は一緒にやりましょう」と言ったところ、驚いたことに大半の社員は残ってくれました。今にして思えば会社の経営状態を社員に伝えてきたつもりでしたが、理解されていなかったということでしょうか。社員とのコミュニケーションが不足していたんだと今では反省しています。

§ 事業承継と転換

 平成5年に現在の社長である長男が入社しました。私が57歳、長男が26歳の時です。他の会社で、後継者である自分の子供と仕事上で口論したり、方向性でぶつかったりしている親子をたくさん見てきました。逆になかなか経営を後継者に託せずに老害となっている経営者も見てきた私は、思い切って一切の口出しをしないと決めました。また世の中の変化の流れが速く、私の経験を活かすよりも新しい考え方を尊重すべきとも考えました。思い返せば私も24歳で会社を設立して以来、独学でここまでやってきたわけですから息子も出来ないことはないと思いました。転んだら自分で起き上がれる人間でなければ経営者は務まりません。
 実際、経営を任せてから、数年後にはかなり厳しい局面もありましたが、そこを乗り越え期待に応えてくれました。

§ 新しい時代へ

 私が事業を始めたころは黙っていても仕事が増えていく環境の中で、ある意味「運んであげます」という時代でした。それが規制緩和の中で「運ばせてください」という「競争時代」に変わり、今は最適な物流の仕組みをお客様や他との連携の中で共に創る「共創時代」へと変わってきたと言われています。時の流れの速さを改めて感じるとともに、お客様から求められること、期待されることも大きく変わって来ました。しかし根本的な部分ではお客様のために何ができるのかを相手の目線で考えることだと思います。
 仕事は一義的に生きるため、自分の生活を向上させるためにするものです。私も自分自身が良い暮らしがしたくて懸命に働いてきました。でもやはりお客様からの感謝の言葉が何よりの励みでした。我社の次代を担う人たちには仕事の中に楽しさや喜びを見つけてもらいたいと思います。私たちの仕事はきつく、つらいときも多々あります。しかし私はこの60年余り、地域社会の発展のために運送という仕事を通じて微力ですが貢献してきたという自負があります。全社員で力を合わせて、社員一人ひとりがそう思える会社に成長させてほしいと思います。
 最後になりますが、これまで小職、そして弊社を支えてきてくださったたくさんの方々に、そしてこうして寄稿する機会を頂いたことにこの誌面をお借りして心から感謝と御礼を申し上げます。

(会 社 概 要)

1 会 社 名 六郷小型貨物自動車運送株式会社
2 代 表 者 代表取締役会長 近藤 道哲
代表取締役社長 近藤 哲泰
3 本社所在地 〒019-1404 仙北郡美郷町六郷字往還南12-1
TEL 0187-84-2132
FAX 0187-84-1651
4 営業拠点 秋田営業所、大仙物流センター
5 資 本 金 3,550万円
6 創  業 昭和30年
7 設  立 昭和35年10月
8 社 員 数 112名(平成28年3月15日現在:パート・アルバイト含)
9 業  種 道路貨物運送業、飲食品卸売販売業、特定人材派遣業
10 取扱品目 清涼飲料水、冷凍食品、青果物、鮮魚、県内産玄米、精白米、一般雑貨、住宅資材、生鮮食品、農業機械器具、飼料、生乳、コンクリート2次製品、その他一般貨物
11 経営理念 「私たちはお客様の想いをお運びして幸せを実現するパートナーとなります」
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