経営随想
「お客様を驚かせたい」
(株式会社櫻山 代表取締役)
「お客様を驚かせたい」
そのもてなしの心があるから、〝おうざん?なのだと思う。
1991年。私が櫻山を引き継いだ時、秋田には懐石料理の店は一軒もなかった。
櫻山のある場所は人口1万8千人。
冬には積雪が3メートルもあり、交通事情も悪く、東京に行くのにも1日がかりだった。山村の一番のごちそうはスーパーで買う鮮度の悪いマグロの刺身、冠婚葬祭も家で行うのがあたりまえだった。
当時は、まだ、「地産地消」や「産直」などの言葉はなく、宅急便もようやく整備されてきたばかりだった。外食の習慣はなく、公務員が最高峰の寒村で料理屋などは最下層のものだった。
「櫻山はえらい高いらしいよ」、料理だけで5千円からということが知れわたると、周りの人はみな「そんな店がやっていけるわけはない。絶対失敗する」と嘲笑した。
両親が建てた櫻山は旅館も兼ねていたが、温泉もなく観光地でもない場所では、唯一のお客様は近くの誘致工場に出張してくる人だけだった。旅館を止めると言ったときの両親の反対はすごかった。大学をでたばかりの頭でっかちの若造になにがわかるという気持ち、それ以上に子供を思う親の心配が大きかったのだと思う。
世の中に数あるエンターテーメントのなかで美味しい食事を食べることこそが一番だと思っている。エンターテーメントである以上「お客様を驚かせたい」その気持ちこそが櫻山のもてなしの心なのだと思う。
新鮮な食材を求めるため全国の市場を廻った。知らない食材がたくさんあった。少ない休みをやりくりして有名な料理屋やレストランにも出かけて行き勉強した。おかげでかけがいのない人脈もたくさんできた。
お客様に一番いいものを提供したい。自分にできることはなんでもやる、その一念からの行動だったし今もそれは変わらない。
予約がほとんどはいっていないカレンダーをみて、このカレンダーがいっぱいになる日はくるのだろうか?と眠れない日もあった。
時代が私達に味方した。TVでは鉄人と評される料理人が登場し、目の前で見た事もない料理を作り出すショーが人気を呼んだ。バブルの頃のグルメブームとは違い、食材や料理人にスポットライトがあたりだし、料理人の地位がぐっと上がった。
櫻山で食事をするのが近くの主婦の間でブームになった。私が考案した今ではあたりまえのサラダ風刺身がブームになり、半径30キロの料理屋やホテルではこのメニューをださない店はなくなっていた。器にも凝って、料理を一品ずつ温かいものは温かく、冷たいものは冷たいまま提供する懐石のスタイルがそこここでまねされだした。櫻山の仕事が食文化の不毛地帯にみとめられた瞬間だった。
秋田では夏が旬の天然の岩牡蛎がある。秋田で一番高い山、鳥海山の伏流水が日本海に注ぐポイントがある。そこで育つ岩牡蛎こそが日本一の岩牡蛎と信じている。櫻山は秋田で最高のものをだす。地元では有名になっていた。
世界中のグルメが知っている寿司屋のすきやばし次郎。主人の小野二郎が噂をききつけ、その岩牡蛎をわざわざ食べにきてくれたときには、牡蛎を開ける手が震えた。
客単価は上がり続け、県外からもお客様がきてくれるようになった。しかしお客様を驚かせるのには終わりはない。
2007年、それまで借景していた千坪の庭を取得した。その庭には樹齢600年以上の欅が5本もあり、明治時代の別荘もついていた。築100年以上の建物はぼろぼろで多くの工務店が建て替えを勧めた。しかし、私はこの建物があるからこそこの庭の価値はある、とゆずらなかった。
簡単な修理と建具の入れ替えだけで、秋田の食材を生かした地産地消のレストランを始めた。古い建物と大きな欅は訪れる人を癒し、カフェは昨年、国の登録文化財に指定された。
冬場の集客の落ち込みのためにカフェのスタッフと一緒に開発したお菓子のクロワッサンラスクは誕生3年目にしてようやく銀座の三越の洋菓子売り場で売れ始めた。
しかし、撤退の危機は何度も訪れたが・・・。事態が大きく動いたのは、去年の11月。夕方のニュース番組に取り上げられたことだった。秋田のカフェ、製作秘話などが大きく取り上げられると、閉店まであと30分にもかかわらず行列ができた。三越の電話が鳴り止まず、翌日には朝から長い長い行列。購入までに2時間もお待ち頂く事態となった。ホワイトデイの前には開店3分で完売。お客様が川のように押し寄せた。自分の人生にこんなことが起きようとは夢にも思わなかったし、本当に幸せな瞬間だった。
日本人の食文化はますますグローバル化している。流行は激しい。食は本来人間が生きて行くためのもっとも根本的なものであるはずだ。
人は食べる物によって健康にも病気にもなる。安いからといって古い材料を使ったり、日持ちのために添加物を使う事はいっさいしてこなかった。
小学校で味覚の授業をやっている。インスタントのだしと、最高級の一番だしの飲みくらべをさせると、子供はみな一様に本物の味のシンプルさに驚く。本物の材料を使っておいしいものだけを提供してきたからこそ今があると思っている。
櫻山で食事をした小説家の先生が私にこんな言葉をおくってくれた。
「舞うも芸、踊るも芸、織るも描くも芸。
されどわけて人を快くもてなすのは至芸なり」
櫻山はお客様に食という最高のエンターテーメントを提供します。
会 社 概 要
1 社 名 | 株式会社櫻山 |
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2 代表者名 |
代表取締役 榎本 鈴子 (社長ご経歴) 大学在学中に直木賞作家藤原審爾氏のもとで生活し文化全般について開眼。骨董や人間国宝の器を惜しげもなく使ってもてなす氏のサロンはいまも第一線で活躍する文化人が集う。サロンの専属シェフは徳川家でお料理番だった磯村純次氏。おもてなしの料理から家庭料理全般を学ぶ。 ・農林水産省認定クッキングインストラクター ・NPO食育ネットワーク秋田代表 ・羽後町食生活改善推進協議会会長 ・集客献立コンサルタント ・野菜料理研究家 |
3 所 在 地 | 〒012-1131 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内字向下川原24-6 |
4 電話番号 | 0183-62-1502 |
5 Fax番号 | 0183-62-5086 |
6 設 業 | 平成元年8月16日 |
7 従業員数 | 10名 |
8 事業内容 | 懐石料理旅館、カフェ・レストラン、デリカテッセンの企画経営。マクロビオテック・スイーツ製造販売、プレミアム・サンドイッチ製造販売。飲食店・フードコンサルティング。料理教室・セミナー。 |