経営随想
父と婿の事業承継
(学校法人山王学園 理事長)
学校法人山王学園は、昭和48年、土建業者であった加賀屋兼三が、生まれた孫とお世話になった地域の人のために私財を投じて、個人立山王幼稚園を立ち上げたのが始まりです。
後継者として加賀屋興平が昭和52年に学校法人格を取得し、初代理事長として就任します。加賀屋兼三は私の祖父、加賀屋興平は私の父になりますが、父と私は婿であります。
父は長崎県佐世保の出身で、母と大学時代、大恋愛を経て秋田に来ることになりましたが、寒いのが苦手で、先天的にアルコールを摂取することができなかった父には、あまり住み良い環境ではなかったかもしれません。また、幼少期から体が弱く慢性的な気管支炎を患い、肺機能も半分程度しかなかったとも聞いています。
しかし、豪快で面倒見がよく、妙に人を引き付ける魅力があった父の周りにはいつも人が集まっていたように感じます。その一方でかなり負けず嫌いな性格でもありました。当時の秋田の経済界は今より閉鎖的で、秋田出身でなかった父は人には言えない苦労があったようです。
父と母が結婚して数年後、祖父が急逝し、様々なトラブルがあり、父には一部の不動産と山王幼稚園、そして多額の負債が残されることになります。
ここから先の苦労話は枚挙に暇がないのですが、最終的には山王幼稚園を学校法人立にすることに始まり、持ち前の負けず嫌いで御所野幼稚園、山王幼稚園附属さんさん保育園を加え、グループ法人として社会福祉法人山王平成会も立ち上げるまでになりました。
平成15年2月加賀屋家の婿養子となった私は、前職が新橋に本社を持つ広告代理店の営業マンという全く異業種の人間でありました。サラリーマンとして会社や上司の不平不満を酒の肴にしていた時代から一転、いきなり経営者側の立場に立たされたため、職場に居場所を見つけるために教職員におもねるような傾向もあったように思います。
そんな私に父は、「経営者は孤独」「従業員を守る法律はあっても経営者を守ってくれる法律はない」と、いつも言葉を選びながらも様々な形で私に経営者としての素養を身に着けさせようと苦心してくれました。
しかし、当時の私はそれを素直に受け取れず、事あるごとに父と喧嘩をしていました。父は今の職場においては創業者ではあるものの、「今があるのはそこで働いてくれた人たちの努力があったればこそ、それを理解できない人なのではないか」、サラリーマンあがりの僕にはそう映っていたように思います。
婿に入り4年目の平成18年、初めて父と一緒に仕事をする機会が訪れます。社会福祉法人で横浜に認可保育園を出そうという計画が持ち上がったことに端を発します。当時の中田宏横浜市長は、公立保育所の民間への移管を進めていました。移管法人を全国から募り、横浜市の保育向上のため、コンペにより優秀な法人を選抜する方式です。その公募に社会福祉法人として手をあげることになったのです。
私は提出書類のとりまとめや、横浜市の担当窓口との折衝を行いました。初年度は最終選考で敗退をしましたが、2年目のチャレンジで平成20年度に移管される阿久和保育所の移管法人として選ばれることになりました。秋田の停滞を憂いていた父の口癖は「奥羽山脈に風穴をあける」で、小さな一歩ではありますが、東北で2例目の快挙、父は本当に喜んでいました。
私はこの一連の仕事に携わり、前職の経験を活かすことができ、充実した日々を過ごす一方、すでに公立保育所時代から入所している子ども達をそのまま引き継ぐため、横浜市と移管法人と保護者の代表による三者協議会を半年に渡り開催し、移管に向けて母を含めた親子3人で準備を進めて行きました。職員の新規採用、取引業者の開拓、労務管理に至るまで関わった私は、一つの職場を作り上げる大変さを学ぶことができました。そして立ちあげる事業所に対する特別な想いやこだわりが自分の中にあることにも気づきました。その時、かつて父も同様の体験をしているのだと考えた時、経営者の視点や気持ちが少し分かったような気がしました。
平成22年の中ごろから父の体調に異変が起き、胆石の手術を行った際、胆道に癌が見つかり入院。12月に手術を行うことになりました。父は人を寄せ付けなくなり、目に入れても痛くないくらい可愛がっていた孫まで傍におかなくなります。手術は成功し、平成23年1月に祖母が亡くなった時、喪主として葬儀に参加できるまで回復をみました。術後日に日に元気を取り戻していった父とは、そろそろ仕事の引き継ぎをしていこうと話をしていました。しかし、同月私が所用で京都に旅立った日、大量に吐血し倒れ、急いで秋田に戻った時にはICUで意識無く横たわる父がいました。肝臓が全く機能しなくなっており、必死の延命措置を行うも2週間後の2月3日帰らぬ人となりました。
今にして思えば聞きたいこと、教えてもらいたいことはいっぱいあります。事業の継承はそこで働く人たちの生活を保障する責任を負うことであり、またその仕事に携わって来た人たちの想いを継承することでもあると今さらながらに思います。過去や歴史は古くてダメなものではない、創業時の想いやこだわりがあるから今があるのです。その想いやこだわりは時間とともに硬直し一見すると不格好で格好悪く映るかもしれません。しかし、それはその事業の根幹であり、欠くことができないものです。事業を継承させてくれる人を尊敬し、その想いを尊重してこそ本当の継承ができると今は考えています。
たまに送られて来る企業や団体代表者の退任と就任の挨拶状を見る度に、父と連名で挨拶状を出すことができなかった無念が心をよぎります。自分が次の世代に事業を渡す時、悔いのない事業継承をしたいと思います。そのためにも、まずは今の事業を継続・発展させることに全力をあげていきます。
(学園概要)
1 学校法人名 | 山王学園 |
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2 代表者名 | 理事長 加賀屋久人 |
3 所在地 | 〒010-0953 秋田市山王中園町4-15 |
4 電話番号 | 018-862-2223 |
5 Fax番号 | 018-862-2244 |
6 設立年月 | 昭和52年2月 |
7 事業内容 | 幼稚園・保育園経営 |
8 学校法人 | 山王幼稚園 □山王幼稚園(秋田市山王中園町) □山王幼稚園附属さんさん保育園(同上) □御所野幼稚園(秋田市御所野) |
9 関連法人 | 社会福祉法人山王平成会 理事長 加賀屋尚江 □ごしょの保育園(秋田市御所野) □かわしり保育園(秋田市川尻) □阿久和保育園(横浜市瀬谷区) □西柴保育園(横浜市金沢区) |