経営随想
半導体業界の片隅で考えたこと
(株式会社秋田新電元 代表取締役社長)
当社は1970年に由利本荘市(当時は本荘市)の大浦地区に新電元工業(株)の半導体生産拠点として設立され、今年43周年を迎えました。当初は大浦工場のみでしたが、現在は同じく由利本荘市内にある飛鳥工場と2工場体制になっています。
嘗て日本において半導体産業が隆盛の頃「半導体は産業の米」ということが盛んに言われていました。世界の半導体メーカの売上ランキングでみると、1980年代から1990年代中頃までは世界トップ10社の内6社を日本企業が占め、一時期はNEC、東芝、日立製作所が第1位から第3位までを独占するという状況でした。
「半導体時代」の始まりはやはり米国で、1947年にベル研究所のBrattain、Bardeenらによる点接触型トランジスタの発明や翌年のShockleyによる接合型トランジスタの発明によってそれまでの「真空管時代」から徐々に「半導体時代」へと移行してきました。当然ながら、最先端の研究開発も製造企業も米国に集中していました。それがなぜ1980年代に日本の企業が半導体売上ランキングの上位を占めるまでになったのでしょう。それには米国で生まれたトランジスタについての論文を苦労して入手し、戦後の何にもない日本で材料や設備を苦労して調達・製作し、寝る間も惜しんで研究開発に没頭した研究者や技術者が存在したからです。しかし産業として成功した要因としては、日本の場合エリート研究者や技術者だけでなく、製造している半導体の品質や歩留りを良くする為に、担当する製造工程において工夫や改善を重ねてきた現場で働く人達のことも忘れてはならないと思います。そうした現場の人たちよる小さな工夫・改善が積もり積もって米国の半導体企業では実現できない様な高い歩留りを達成し、品質も向上し、大幅にコストも安くなり日本の半導体メーカが躍進していきました。
しかしあまりに急激に強くなり過ぎた為に、米国企業は政治を巻き込んで対抗してきました。いわゆる「日米半導体貿易摩擦」です。日本企業は米国での販売に強力な制限を受けることになりましたし、日本市場で無理やり米国製品を購入することになりました。そういう政治の介入による助けを受け、また日本が得意としていたメモリー市場から完全撤退しマイクロプロセッサーの製造に方向転換したIntel(インテル)のような会社も出てきて、米国半導体企業が復活してきました。また一方では、日本の製品、技術、製造方法をすっかり真似て後追いをしてきたSamsungなどの韓国企業や台湾企業に追いつかれ追い越されていきます。現在では米国Intel、韓国Samsungが不動の1位、2位企業として君臨しています。それに対し、日本の大手電機メーカの半導体部門が一緒になって発足したメモリーのエルピーダ、マイコンのルネサスの苦境を伝える報道は記憶に新しいところです。
「それでは、日本の大手半導体メーカでさえ凋落していった厳しい環境の中、お前の会社のような小さな企業が半導体メーカとして生き残っているのは何故だ」と言われそうです。それに対する答えを私なりに考えてみると、「ニッチ」「特徴ある製品と技術」「変化」ということになりそうです。
世界の半導体市場の規模は2011年で2,995億ドル(29兆3,500億円:最近の為替レート98円/$で換算)と大きな市場になっていますが、その大半はIC、LSI、超LSIといった集積回路デバイスが占めています。当社が主力としている個別半導体の分野はその内の524億ドル(5兆,1300億円)で全体の17.5%程に過ぎず、しかも毎年の成長率もIC、LSI、超LSIに比べるとずっと低い分野です。IC、LSI、超LSIの分野はチップのパターン微細化による集積度向上の競争に勝つ必要があり膨大な設備投資、膨大な研究開発費用に耐えられる企業でないと生き残ってはいけません。一方、個別半導体分野は市場規模も小さく成長率も低い「ニッチ」な市場であり、大企業にはあまり魅力がありません。その「ニッチ」な市場であるが故に当社でも生き残ってこられたと言えます。
但し、ニッチな市場だから楽々と生き残っていけるかというと、世の中それ程甘くありません。ニッチな市場で膨大な金額の設備投資競争が無いということは、反面それだけ参入障壁が低いということであり、様々な競争相手が存在します。そこでの競争にはやはり他社と比較し独自の「特徴ある製品と技術」が必要です。幸い当社には43年の歴史の中で先輩達から後輩達に受け継がれ育て上げてきた特徴ある製品と技術が存在します。
最後に、世の中の変化に対応しどの様に変わっていくかということが生き残りの条件となりそうです。当社も43年間個別半導体を製造してはいますが、その製品構成はこの間で大きく「変化」していますし、目指す市場も「変化」しています。現在当社は車載市場での売上が大きく伸び、日本の家電業界不振のなか車載市場が堅調で助かっています。2005年に新電元工業の「車載市場への参入」の方針のもと取組を開始したのですが、車載メーカから要求品質の厳しさ、工程監査での指摘の多さに衝撃を受けました。まだまだ日本の家電市場や情報通信市場なども好調だったこともあり、「こんなことまで言われるなら参入なんかしなくても」といった声も上がった程です。しかし、車載メーカからの品質要求に必死になって応えていくうちに、次第に信頼を得られるようになり、更に工程監査でも高い評価を頂くようになりそれに伴い車載市場で使われる製品も増えていきました。
現在、アベノミクスの成長戦略における規制緩和やTPP参加などの報道を見ていると、これまでの状態をかき乱されることに対する反対の声が盛んに聞こえてきますが、世の中の変化に対応し自ら積極的に変えていくことこそ社会の停滞感を打ち破る途ではないでしょうか。
(会社概要)
1 会社名 | 株式会社秋田新電元 |
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2 代表者名 | 代表取締役社長 佐々木 延幸 |
3 所在地 | (本社大浦工場) 〒015-8558 秋田県由利本荘市大浦字上谷地114-2 TEL(代表)0184-22-2327 FAX(代表)0184-24-4354 (飛鳥工場) 〒015-0055 秋田県由利本荘市土谷字前田39-1 TEL(代表)0184-23-7641 FAX(代表)0184-23-7640 |
4 創 立 | 昭和45年7月 |
5 資本金 | 4億9千万円 |
6 年 商 | 131億円 (平成24年度実績) |
7 従業員数 | 756人 |
8 事業内容 | 半導体素子製造業 |
9 社 是 | 人は品質及び生産性向上の源泉であり 最も大切な資産である 成功への鍵は 品質と納期を守ることにより 顧客の信頼をかち取ることである |